源氏物語 第四十六帖 椎本より 薫、八の宮邸を訪れる 其の二
この頃の作品をいま素直に見て感じるのは、お世辞にもあまり上手じゃない。しかし、これを描いた頃は多分これで精一杯だった。わずかだが下手なりに懸命さも感じる。たぶん。最初の頃なんて皆んなそんなものだろう。どうしようも無いのは、なんとも無謀な絵の内容だ。
隆能源氏から構図を参考にすることは前回書いた。それはあくまでも止むを得ない話であって、本心は、全て自分の構図、自分の絵で描きたいと思っていた。それには有職故実の知識が無く、本の読みが足りなかった。まず、舟はこれでよかったのか? 竿を持ってるのは誰だ、貴族なのか船頭なのか? 楽器を演奏しながらなのだが、だれも楽器を手にしていない。唯一の楽器は屋外で琴、しかも七弦の琴。本文にもあるが、ここで奏でるのはよく音の通る管楽器だろう。弦楽器は山荘に到着してからだ。
いま見直すと色々見たく無いものが見えて来る。ここの場面は、色々な資料の中から作者不詳の扇面画を参考に描いたと思う。今思うとなんとバカなことをしたものかと思う。
あと一つ、ここで描きたくても描けなかったのは、満開の桜だ。本文には「散る桜あれば今開けそむる」とある。「桜咲くさくらの山の桜花散る桜あれば咲く桜あり」この歌からの引用とのことだが、そんな桜が咲く中での舟遊び、このゴージャスな感じが全くしない。これを描いた時は色々未熟で仕方ないと思う。しかし、自分なりに上手くなりたいと思いずっと描いてきた。最近少し上手にはなってきたが、今でも思うような絵はなかなか描けないものだと思う。
じゃあ、どんな絵が描きたいかというと、そぉっと貝を開いて中を覗く。すると、芝居の浅葱幕が柝の音と共にパーンと振り落とされ、パァッと明るくなったら満開の桜が咲いている。その瞬間、ほわっと暖かくなったような気がする。貝を開いて見た時に、そんな感じのする絵が描けたらいいなと思って描いている。無理かもしれないが、毎回挑戦してる、つもり、だ、が。
コメント
コメントを投稿