源氏物語 第五十帖 東屋より 薫、三条の小屋にて 其の二

 ここも隆能源氏を参考にして描いた。構図等人物の配置は隆能源氏そのままで、左に伏しているのが浮舟、上にいるのが乳母、右が弁の尼と想定した。
源氏物語 第五十帖 東屋の貝合わせ
片側の貝に描かれた同じ構図の絵

 問題は建物。色々な註釈でこの三条の小家は「あやしき(粗末な)小家」と、扱われている場合が多い。額面どおりにそう思っていた。ただし、それは薫や浮舟の母君が、六条院や二条院と比べた感想であって、本文ではつくりかけではあるが「さればみたる(洒落た家)」とも書かれている。どうも、私が思っていた様な粗末な小屋ではなさそうだ。そこは、廂もあれば濡れ縁もある。立派な寝殿造りの建物なのだ。この絵を描いた時には、私にその寝殿造りのイメージが全く無かった。寝殿造りに人を配置して行くと、この小さな面積に納めるには多少省略が必要になる場合がある。それはそれで仕方ないのだが、せめて寝殿造りの構造を理解して頭に浮かべていたら、もう少しましなものになっていたかもしれない。

 まず、一般的な寝殿造りでは廂の外側、濡れ縁との間に壁は存在しない。右端にわずかに見える板壁はありえないだろう。妻戸は隆能源氏にも描かれている。場所が気になるが多分問題は無いと思う。その左、最初と同じ理由で、ここも鎧張り風の板壁はありえない。黒の蔀はあったかもしれないが、女性の隠れ家と想定すると、白木の方がしっくりとしたかもしれない。
 そもそも平安時代の住居について、あまり良くわかっていない。遺構は京都の地下に眠っているし、書物、絵画が手掛かりになるのだろうが、これだと言える物が思いつかない。源氏物語が書かれてから百年ほど経って絵巻が描かれたが、それこそ隆能源氏が最重要の資料なのだ。隆能源氏の「東屋」には母屋と廂の間がはっきりと分かれて描かれているが、粗末な家には廂の間はいらないんじゃないかと取ってしまった。なまじ浅はかな知識を持つとろくな事はない。隆能源氏に見える、薫の訪問を取り次ぐ様子はなくなってしまった。でも、薫の突然の訪問に慌てて相談する様子は、なんとか描いた。これがなきゃなんの話の絵かわからなくなってしまう。

 隆能源氏は広大な寝殿造りの建物をコンパクトに切り取って、実に巧みに描かれている。つくづく源氏物語の書かれた時代の世の中を見てみたいと思う。

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