源氏物語 第五十一帖 浮舟より 匂宮、浮舟と宇治川へ 其の二
前にも触れたが、この頃は有職故実の知識も無ければ、本の読みも甘い、というか拾い読みだ。お気づきの方もいると思うが、「橘の小島」が「松の小島」になってしまった。言い訳だが、描き初めの頃、林原美術館所蔵の貝合わせを何点か模作した。下がその時の浮舟の貝合わせだが、橘の小島に向かう様子の絵だ。後方の松の枝に違和感はない。その下の絵が私の物だが、何か違いをつけようと、下手に構図をいじったら、明らかに前方の松の小島に到着しようとしている。ちょっと良く読めば気がつく事なので、気をつけたいと思う。
林原美術館所蔵の貝合わせの模作 |
この頃に描いていた五衣(実際には三色だが)は、赤、淡緑、水色の濃淡しか使って描いていない。季節、題材に関係なくだ。最近は余裕が出来たのでちょっと捻って、季節や題材にちなんだ「なんとか襲」とかで描く場合が多い。
これを描いてからかなり経った頃、源氏物語を読んでいると、この後本文は、翌朝の女君の装束に触れている。「なつかしきほどなる白き限りを五つばかり(着馴らした白の五衣襲)」と書いてあった。該当するようなものに白を五枚重ねた梅染襲という襲の色目が有る。
貝覆いの絵は赤桃白のグラデーションで描いている。明らかに間違いであるが、開き直る余地もあるかも知れない。梅染襲は、緑の単衣に、表が白、裏が濃き蘇芳(赤紫色)の袿を五枚重ねたものだ。この時代のお洒落は何枚もの布を重ね、色が微妙に透けて見えるのも楽しんだ。白の五衣襲だが、裏地が濃き蘇芳だとしたら偶然にも近い色目だったかもしれない。かなり苦しいかな。
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