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新年明けましておめでとうございます。

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新年明けましておめでとうございます。  今年の新年のご挨拶は宝船です。描きたかったのは弁財天とその眷属の白蛇だったが、気がついたら人数が増えてしまい七福神になってしまった。この部分は年賀状の一部だが、実際には小さ過ぎて衣装の柄や簪の形などよくわからない。パソコンで絵を作っているとよくやる間違いだ。気を付けてはいるが多分性格なのだろう、一向に改善されない。  乙巳(きのとみ)の年は、植物が成長し、結実してゆくという年だとか。良い事のようだが、その前に努力が必要だそうな。  制作にはAdobe社のfrescoを使用しPhotoshopで加工した。frescoはよくお世話になっている。今回は使用していないが、水彩ブラシで水墨画風の絵は素晴らしいものがある。

このバイトで色々気付かされてこと

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 これからの季節、バイト先には絵の様なケヤキの枝や、ヒマラヤ杉の松(すぎ)ぼっくりが落ちてくる。人が来る頃には綺麗に片付けられてしまうが、吹き溜りには落ち葉に紛れて傷んだ枝を見ることができる。  ケヤキの小枝は、木の上で枯れた枝が、風に乗って空から竹トンボのように落ちてくる。風の強かった翌朝は、少し早く外に出て形の良いのを見つけるのは楽しみだった。さぁ描いてくれとばかりに葉はみんな正面を向いている。特に実の形の面白さは格別だ。小枝拾いができなくなるのは、少し残念かも知れない。  拾った枝は、時間をかけ原寸大で正確に物を写す練習にしてきた。葉は枯れた状態なので新緑のものと違いいつまでも形が変わらない。

私事ですが、アルバイト辞めました。

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 私の作る貝合わせは、まず本を読んで構図を模索し、日本画の絵の具で製作している。恐ろしく時間が掛かり生活も難しくなるので、十数年前アルバイトを始めた。それを今年で辞めることにした。良いことも悪いこともあったが、とにかく色々な人を見てきた。見てきたというよりは観察をしていたと言った方が近い表現かも知れない。でも、アルバイトの仕事はちゃんとやっていたつもりだ。 月代麻呂眉の男達    源氏絵を描き始める以前は人物はあまり好んでは描いてこなかった。顔の表情の中にどうしても見たくない性格まで感じてしまう事があるが、私の勝手な思い込みなので、それではモデルに失礼だ。要は、単に人付き合いが苦手なのだと思う。  源氏絵のを描く時はなるべく無表情に描こうと努めている。動作や仕草の中に表情や動きを出せたら良いと思っているが、中々上手くはゆかない。その反動か変なことを思いついた。色々な人の顔を書いてみようと始めたのが上の絵。小学生がコソコソ描く落書きの様な物だが、描いていて面白いし楽しい。無意識に描いているが、必ず自分に似てるのが混じってしまう。

源氏物語 第三十七帖 横笛より 夕霧、一条の宮を訪問する

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 秋の夕暮、夕霧は、落葉の君がどのようにお過ごしかと心配して、一条の宮邸を訪問なされます。皆くつろいでお琴などを弾いていらっしゃったところが、急な来訪に慌てて庇の間へご案内し、御息所が出て夕霧の話し相手をなさいます。  夕霧は、柏木遺愛の和琴を弾き、落葉の宮にも弾くよう勧めますが、お引き受けなさいません。落葉の君がいたずらに箏の琴を爪弾いていらっしゃるので、夕霧は琵琶を取り寄せ、想夫恋をお弾きなさいます。落葉の宮は、終わりの方を少しだけ箏の琴で合わせます。夕霧が落葉の君への思いをほのめかして、おいとましようとすると、御息所は夕霧に贈り物に添えて柏木遺愛の笛を贈ります。 【本文】 見たまふに これもげに世とともに身に添へてもてあそびつつ みづからもさらにこれが音の限りはえ吹きとほさず 思はむ人にいかで伝へてしがなと をりをり聞こえごちたまひしを思ひ出でたまふに 今すこしあはれ多く添ひて 試みに吹き鳴らす 盤渉調の半らばかり吹きさして 昔を偲ぶ独り言は さても罪許されはべりけり これはまばゆくなむ とて 出でたまふに  露しげき むぐらの宿に いにしへの 秋に変はらぬ 虫の声かな と 聞こえ出だしたまへり  横笛の 調べはことに 変はらぬを むなしくなりし音こそ尽きせね 出でがてにやすらひたまふに 夜もいたく更けにけり 【意訳】  笛をご覧になります。これも柏木が生涯肌身離さず愛玩していて、自分にもこの笛の本当の音は出すことが出来ない、誰か吹きこなせる人に伝えたいと、折々にこぼしておられたのを思い出しなさると、いちだんと哀れさが増して、試しに吹き鳴らしてみます。盤渉調の調べを半分ほどで吹き止めて、「昔を偲んだ独り言は、和琴はなんとか下手を許される出来栄えでしょうが、これはまったく気に入らない出来でしょう」とおっしゃって、お出ましになりますと、御息所が 「涙(露)であふれた雑草が生い茂った家に、昔の秋と変わらない笛の音(虫の声)を聴くことができました」  と、几帳の内より申し上げます。 「横笛の調べは特には変わらないが、悲しむ泣き声は尽きません」 夕霧が帰るのをためらっているうちに、夜もたいそう更けて来ました。  この笛は後に柏木の不義の子、薫へ受け継がれてゆく。衣装は本文では触れていないが、この季節なので、几帳越しの一条の御息所にはススキ襲の小袿、御簾の内の落葉の君には...

ちはやぶる

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  遅ればせながら、関東でも紅葉の便りが聞かれる様になった。紅葉の名所といえばやはり竜田川が筆頭か。個人的には奥日光の紅葉が好きだが、「竜田川の紅葉は錦の如し」と言われて、色々な形で描かれてきた。  ちはやぶる 神代かみよも聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは あまりにも有名な歌なので私のつまらない解説はつけない。  昔々、奈良に行った時、ここまで来たのなら竜田川を観に行こうと、斑鳩町の竜田公園に寄ったことがあるが、紅葉の季節にはまだ少し早かった。でも、色づき初めた紅葉を見られたことで、ある程度の達成感があった。が、後で知ったが、平安時代に和歌で詠まれた竜田川は竜田公園付近ではなく、そこから6kmほど離れた大和川本流の亀の瀬付近だそうな。さらに、伊勢物語を読むと親王達がワサワサ紅葉狩りに出かけた様に書かれているが、古今和歌集には、屏風に描かれた絵を見てこの歌を詠んだことになっている。なぁんだ、と少し複雑な気持ちは残るが、紅葉の名所には変わりない。

山萩〈ヤマハギ〉

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  万葉集からもう一つ。マメ科ハギ属の種子植物。山野に自生する落葉低木または半草本。描いたのはたぶんヤマハギだと思う。  ごく稀に白い花も咲かせるとのことなので、白い花も入れてみた。絵だとそういった事は自由にいじれる。葉もだいぶ間引いてあるし、全て正面を向かせている。葉を重ねて立体感を出して、とも思ったが、うるさくなりそうなのでやめた。金箔地に負けないように、必要なものだけを様式的に描いたつもりだ。でも、後で見ると少し寂しいか。季語は秋。

桔梗〈キキョウ〉

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 キキョウ科の多年草。山野の日当たりの良い所に自生すると言うが、実際に山野ではお目にかかったことが無い。日本全土から朝鮮半島、中国、東シベリアにまで分布するらしいが日本では絶滅危惧種に指定されている。もちろん自生株の話で、公園や庭先などでは身近に見ることができる。  私のバイト先の建物のちょっとした空き地にも季節になると花をつけていた。が、なぜか最近は見ない。日当たりが悪いのか、水はけが悪いのか、環境が合わないと非常に弱い花なのかもしれない。そう思うと愛おしい。  古くから栽培され親しまれてきた。江戸時代にはかなりの品種があったらしい。北斎が 色々な桔梗の浮世絵 を描いている。しかし、明治の中頃には途絶えてしまったという話だ。根は喉の薬として漢方薬に使われる。 夏から秋にかけて花をつける。季語は秋。 なお、万葉集で山上憶良が詠んだ、秋の七草の歌の朝顔に該当すると言われている。 1537: 秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 1538: 萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花  実際の花はこんな色はしていない。もっと淡い青紫色をしている。これは買ったばかりの群青を使ってみたくて描いた。

箔盤を作る〈三〉

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  赤い箔盤は唐木製だ。なんちゃって紫檀と呼んでいる。天板はブビンガ、側面と土台は本花梨(パドウク)、盤止めの桟はチークを使用した。ずしりと重く、重厚だがたぶん二度と作らないと思う。  蓋を作るとき、四角く組んだ側面に大きめの天板を貼り、余分な所をノコギリで落としてサンドペーパーで磨いたのだが、恐ろしく硬い。こういう作業は余分な力が入ると曲がったり仕上がりが悪い。でも、余分な力を入れないとまったく歯が立たない。側面はキズだらけになった。ヤスリ掛けでなんとか見られるようになったが、最後の仕上げは途中で放棄した。後で気が向いたらきれいに磨いて木目を出してやろうと思う。このまま箔盤として使うには何も問題が無い。  こちらの鹿革はキョンセーム。カメラや眼鏡のレンズ拭きに使う物だ。中にはフェルト布だけを入れた。ディアスキンよりずいぶん硬い。二種類作ったがいずれも皮を張る時はかなり強く引っ張った。パンと張っていた方が結果が良かった。また、バックスキンを使うという固定観念があった。これは間違いだった。いま思う所があるので、機会があったらもう一種類作ってみようと思っている。箔盤は取り外し可能で、色々用意しようと思っている。私のことなのでいつになるか分からないが、作ったら報告したいと思う。 肝心の切れ味だが、正直分からない。キョンセームとディアスキンの差さえよくわからない。技術が伴わないから分からないと言ってしまえばそうなのかも知れない。ただ、かねてから薄々感じていたのだが、箔を截る場合に重要なのは竹刀、もしかしてそれよりも重要なのはタルクかもと。それはヴァイオリン(箔盤)と弓(竹刀)と松脂(タルク)の関係に似ているような気がする。どんなに高価な名器でも弓に松脂が塗って無ければ音が出ない。取りあえず結果は急がず、使ってゆくうちの何か分かるかも知れない。とにかくこれで、仕事が終わったらいちいち金箔片をしまわなくて済む。