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源氏物語 第五十二帖 蜻蛉より 薫、女一の宮を垣間見る 其の一

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 蓮の花の盛りの頃、明石の中宮は法華八講を催されました。五日目の法会が終わって人々が片付けを済ませて人の少なくなった夕方。薫はどうしてもお会いしたい僧がいるので部屋を回って探します。すると、襖が少し開いているところを見つけたので、中を覗くと部屋の奥の方までが見渡せました。 【本文】 氷をものの蓋に置きて割るとて もて騒ぐ人びと 大人三人ばかり 童と居たり 唐衣も汗衫も着ず 皆うちとけたれば 御前とは見たまはぬに 白き薄物の御衣着替へたまへる人の 手に氷を持ちながらかく争ふを すこし笑みたまへる御顔 言はむ方なくうつくしげなり 【意訳】  氷を物の蓋の上に置いて割ろうとして、騒いでいる人々が、女房三人ほどと、童とがいました。唐衣も汗衫も着ず、みな打ち解けている様子なので、一の宮の御前とは見えませんでしたが、白い羅の御衣を着ていらっしゃる姫が、手に氷を持ちながら皆はしゃいでいるのを、少しほほ笑んで見ていらっしゃるお顔が、言いようもなく美しく見えます。 〈 其の二 〉

源氏物語 第五十一帖 浮舟より 匂宮、浮舟と宇治川へ 其の二

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 前にも触れたが、この頃は有職故実の知識も無ければ、本の読みも甘い、というか拾い読みだ。お気づきの方もいると思うが、「橘の小島」が「松の小島」になってしまった。言い訳だが、描き初めの頃、林原美術館所蔵の貝合わせを何点か模作した。下がその時の浮舟の貝合わせだが、橘の小島に向かう様子の絵だ。後方の松の枝に違和感はない。その下の絵が私の物だが、何か違いをつけようと、下手に構図をいじったら、明らかに前方の松の小島に到着しようとしている。ちょっと良く読めば気がつく事なので、気をつけたいと思う。 林原美術館所蔵の貝合わせの模作  この頃に描いていた五衣(実際には三色だが)は、赤、淡緑、水色の濃淡しか使って描いていない。季節、題材に関係なくだ。最近は余裕が出来たのでちょっと捻って、季節や題材にちなんだ「なんとか襲」とかで描く場合が多い。 片側の貝に描かれた同じ構図の絵  これを描いてからかなり経った頃、源氏物語を読んでいると、この後本文は、翌朝の女君の装束に触れている。「なつかしきほどなる白き限りを五つばかり(着馴らした白の五衣襲)」と書いてあった。該当するようなものに白を五枚重ねた梅染襲という襲の色目が有る。  貝覆いの絵は赤桃白のグラデーションで描いている。明らかに間違いであるが、開き直る余地もあるかも知れない。梅染襲は、緑の単衣に、表が白、裏が濃き蘇芳(赤紫色)の袿を五枚重ねたものだ。この時代のお洒落は何枚もの布を重ね、色が微妙に透けて見えるのも楽しんだ。白の五衣襲だが、裏地が濃き蘇芳だとしたら偶然にも近い色目だったかもしれない。かなり苦しいかな。

源氏物語 第五十一帖 浮舟より 匂宮、浮舟と宇治川へ 其の一

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 如月の十日頃、宮中で詩会が催されるが、雪が激しくなり早めに打ち切られ翌日に持ち越されました。そのとき薫が何気に宇治に因んだ歌を口ずさむのを匂宮が聞いてしまいます。匂宮は宇治に残した浮舟が気になり居ても立ってもいられません。翌日、歌を献上するのもうわの空で、苦しい口実を作り、浮舟に会いに深い雪の残る宇治へ向かいます。宇治に着いた匂宮は川の向こうの家へ浮舟を連れてゆく手配をします。 【本文】 いとはかなげなるものと 明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて さし渡りたまふほど 遥かならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて つとつきて抱かれたるも いとらうたしと思す 有明の月澄み昇りて 水の面も曇りなきに これなむ 橘の小島 と申して 御舟しばしさしとどめたるを見たまへば 大きやかなる岩のさまして されたる常磐木の蔭茂れり 【意訳】  浮舟は、実に頼りないものと、日ごろ眺めていた頼りない小さな舟にお乗りになり、川をお渡りなさる間も、遥か遠い岸に向かって漕ぎ離れて行ってしまうような心細い気持ちがして、ひしっと寄り添い抱かれているのを、匂宮は、とてもいじらしいとお思いになられます。有明の月が澄み上って、川面も曇りなく見えているところに、「ここが、橘の小島でございます」と申して、お舟をしばらくお止めになりその先を御覧になると、大きな岩のような形をして、洒落た常磐木が茂っていました。  対岸まで小さな小舟で川を渡るなか、心細さに打ち震える浮舟と、それをいじらしいと抱き抱える匂宮を描いた。この舟にはあと二人、右近が遣わした供の者と船頭が乗っているが野暮なので省いた。 〈 其の二 〉

源氏物語 第五十帖 東屋より 薫、三条の小屋にて 其の二

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 ここも隆能源氏を参考にして描いた。構図等人物の配置は隆能源氏そのままで、左に伏しているのが浮舟、上にいるのが乳母、右が弁の尼と想定した。 片側の貝に描かれた同じ構図の絵  問題は建物。色々な註釈でこの三条の小家は「あやしき(粗末な)小家」と、扱われている場合が多い。額面どおりにそう思っていた。ただし、それは薫や浮舟の母君が、六条院や二条院と比べた感想であって、本文ではつくりかけではあるが「さればみたる(洒落た家)」とも書かれている。どうも、私が思っていた様な粗末な小屋ではなさそうだ。そこは、廂もあれば濡れ縁もある。立派な寝殿造りの建物なのだ。この絵を描いた時には、私にその寝殿造りのイメージが全く無かった。寝殿造りに人を配置して行くと、この小さな面積に納めるには多少省略が必要になる場合がある。それはそれで仕方ないのだが、せめて寝殿造りの構造を理解して頭に浮かべていたら、もう少しましなものになっていたかもしれない。  まず、一般的な寝殿造りでは廂の外側、濡れ縁との間に壁は存在しない。右端にわずかに見える板壁はありえないだろう。妻戸は隆能源氏にも描かれている。場所が気になるが多分問題は無いと思う。その左、最初と同じ理由で、ここも鎧張り風の板壁はありえない。黒の蔀はあったかもしれないが、女性の隠れ家と想定すると、白木の方がしっくりとしたかもしれない。  そもそも平安時代の住居について、あまり良くわかっていない。遺構は京都の地下に眠っているし、書物、絵画が手掛かりになるのだろうが、これだと言える物が思いつかない。源氏物語が書かれてから百年ほど経って絵巻が描かれたが、それこそ隆能源氏が最重要の資料なのだ。隆能源氏の「東屋」には母屋と廂の間がはっきりと分かれて描かれているが、粗末な家には廂の間はいらないんじゃないかと取ってしまった。なまじ浅はかな知識を持つとろくな事はない。隆能源氏に見える、薫の訪問を取り次ぐ様子はなくなってしまった。でも、薫の突然の訪問に慌てて相談する様子は、なんとか描いた。これがなきゃなんの話の絵かわからなくなってしまう。  隆能源氏は広大な寝殿造りの建物をコンパクトに切り取って、実に巧みに描かれている。つくづく源氏物語の書かれた時代の世の中を見てみたいと思う。

源氏物語 第五十帖 東屋より 薫、三条の小屋にて 其の一

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 中将の君は、婚約を破棄された娘の浮舟を不憫に思い、二条院の中の君に預けることにしました。しかし、そこで匂宮の目に留まってしまいます。そのことを知って安心出来なくなった中将の君は浮舟を三条の隠れ家へと移しました。  薫は宇治に訪れたときに中の君から聞いていた、亡くなった大君によく似ているという浮舟のことを弁の尼に尋ねて仲介を頼みます。弁の尼は、薫が用意した車で京に出て三条の隠れ家を訪れます。そして、宵を過ぎた頃に雨が降る中を、薫が三条の隠れ家を訪ねて取り次ぎを願います。 【本文】 雨やや降りくれば、空はいと暗し 宿直人のあやしき声したる 夜行うちして 家の辰巳の隅の崩れ いと危ふし この人の御車入るべくは引き入れて御門鎖してよ かかる人の御供人こそ 心はうたてあれ など言ひあへるも むくむくしく聞きならはぬ心地したまふ 佐野のわたりに家もあらなくに など口ずさびて 里びたる簀子の端つ方にゐたまへり   さしとむる 葎や繁き 東屋の あまりほどふる 雨そそきかな とうち払ひたまへる追風 いとかたはなるまで 東国の里人も驚きぬべし 【意訳】  雨が次第に降って来ましたので、空はたいそう暗くなりました。宿直人で変な声をした者が、夜回りをして、「屋敷の東南の隅の崩れが、とても無用心だ。こちらの客人の御車は入れるなら引き入れてご門を閉められよ。この客人のお供の物は、気がきかない」などと言い合っているのも、薄気味悪く聞き馴れない心地がいたします。「佐野のわたりに家もあらなくに」なとど口ずさんで、簡素な簀子の端の方に座っていらっしゃいます。  戸口を閉ざしているのは、葎(むぐら)が繁っているのせいなのか。東屋に、落ちる雨だれの下で、あまりにも長く待たされることよ。 と、雫をお払いになりますと、薫の香りが風にのって、周囲に芳しく漂い、東国の田舎人も驚いたに違いない。  この後薫は隠れ家の南の廂の間に招き入れられ、浮舟と夜明けまで過ごします。 〈 其の二 〉

源氏物語 第四十九帖 宿木より 匂宮、琵琶を弾く 其の二

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 この絵も隆能源氏を参考にした。宇治十帖を選んだのにはまだ理由がある。主な舞台は宇治の山荘だ。主人の性格上、建物は質素な造りで高欄などは少ないはずだ。今でこそ、それほど苦とは思わないが、描き始めた頃、高欄は高いハードルだった。高欄だけならまだましだが、高欄付きの簀縁に人がいた場合、簀縁を描いてから人物を描く。その上に高欄の地色の具の黄土を塗って具墨で線を細く描き起こす。文章で書くとなんという事は無いが実際にやってみると思うように行かない。あの頃の私の技術では、具にした黄土はコテコテに盛り上がり、線描は途切れ途切れでガタガタになる。 片側の貝に描かれた同じ構図の絵  この絵も隆能源氏を参考にした。宇治十帖を選んだのにはまだ理由がある。主な舞台は宇治の山荘だ。主人の性格上、建物は質素な造りで高欄などは少ないはずだ。今でこそ、それほど苦とは思わないが、描き始めた頃、高欄は高いハードルだった。高欄だけならまだましだが、高欄付きの簀縁に人がいた場合、簀縁を描いてから人物を描く。その上に高欄の地色の具の黄土を塗って具墨で線を細く描き起こす。文章で書くとなんという事は無いが実際にやってみると思うように行かない。あの頃の私の技術では、具にした黄土はコテコテに盛り上がり、線描は途切れ途切れでガタガタになる。  隆能源氏には高欄がついている。ここにきれいな高欄を描ける自信が無かったし、下手なものを描くと全てがぶち壊しになりそうだった。場所は紫の上ゆかりの二条院、チャチな造りなどはあろうはずも無いが、二条院でも高欄の無い所もあるんじゃ無いかなと、見てきた人もいないし。  高欄はこのあと手習の建物で初挑戦だ!

源氏物語 第四十九帖 宿木より 匂宮、琵琶を弾く 其の一

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 宇治を訪れていた薫は、帰宅の途中に深山木に寄生している紅葉した葛を中の君のために取って戻ります。葛に文を添えて中の君へ送りますが、匂宮がいるときに届いてしまいます。匂宮は中の君に返事を書くように勧めてはいますが、自分に浮気な心が有るので薫との仲を疑っています。中の君はやましいところがないので面白くはありません。 【本文】 なつかしきほどの御衣どもに 直衣ばかり着たまひて 琵琶を弾きゐたまへり 黄鐘調の掻き合はせを いとあはれに弾きなしたまへば 女君も心に入りたまへることにて もの怨じもえし果てたまはず 小さき御几帳のつまより 脇息に寄りかかりて ほのかにさし出でたまへる いと見まほしくらうたげなり 【意訳】  着なれた御衣に、直衣だけをお召しになり、琵琶を弾いていらっしゃいました。黄鐘調の掻き合わせを、たいそう美しくお弾きになるので、女君もたしなんでいらっしゃるものですから、物恨みもなさらずに、小さい御几帳の端から、脇息に寄り掛かって、わずかにお出しになった顔は、まことにいつまでも見ていたいほど可愛らしいご様子です。 〈 其の二 〉

源氏物語 第四十八帖 早蕨より 中の君、蕨を贈られる 其の二

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  姉の大君が亡くなり悲しみの中で暮らす中の君の所へ、山の阿闍梨より新年の挨拶と共に山菜が送られてきた。添えられた一生懸命に詠まれた歌に、心惹かれ感涙しているところを描いた。文を読んでいるのが中の君。他の二人はお付きの女房。「御前に詠み申さしめたまへ」とあるので、今だったら、女房が文を読み、中の君が袖を頬に当て感涙しているところを描くだろう。「をかしき籠」も、当時いろいろ資料を探して私なりに描いたつもりだが、かなり怪しいものになっている。初音にも籠が登場する。明石の君が娘に贈ったもので、洗練された美しい籠に違いない。ここでは山の阿闍梨から贈られた山菜を収めた籠なので、素朴で飾り気のない籠を描いた。高速道路のパーキングで、真空パックの山菜を詰めて売っているカゴにこんなのがあったような。 同じ構図で別の貝覆い貝  貝合わせ使う貝には図案に一定のお決まりがあった。その中でも、制作するにあたり最初のハードルは源氏雲だった。源氏雲とは、金箔で雲を表現したもので、多くの場合、金箔の雲の中に点や亀甲柄の盛り上がった模様が描かれている。もちろん無地の金箔地に花鳥など描かれたものはあるが、そちらの方が珍しくほとんどの貝合わせには、なんらかの形で源氏雲が描かれている。貝に源氏絵を描くには避けては通れない必須アイテムだろう。  盛り上げを行うには、貝殻を砕いてすりつぶした胡粉という絵の具を使う。ただし、そのままでは点や線の真ん中が窪んでしまい、クリッと盛り上がらない。それを回避するため、狩野派には技法が残っていて、盛り上げをするのに起上胡粉という一度腐らせた胡粉を使う。ただし、名の通り胡粉を腐らせなければいけない。今すぐ描きたいのにそんな悠長なことはしていられない。この宇治十帖の源氏雲は水分をなるべく減らした花胡粉を使って描いた。その為に盛り上げた胡粉は、クリッと丸く盛り上がらず、ダラッと平面的で中心が窪んでしまっている。  起上胡粉については後で詳しく書こうと思う。