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源氏物語 第十九帖 薄雲より 明石の御方、母子の雪の別れ 其の二

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 悲しい色ってどの様な色なのであろうと、色々考えて描いた。私の持っている明石の君のイメージカラーは薄紫色。悲しそうだが、少し赤みが入っている様な色なので、当てはまらない。本文、少し前に、明石の衣装は「白き衣どものなよよかなるあまた着て」とある。柔らかくなえた白い衣を何枚も重ねて、といった感じか。作者はこの悲しむ姿を比類なき高貴な姿と書いている。衣装は白で高貴で悲しい色? どんな色なんだろう。  昔から日本画の絵の具屋さんに行くと、ずらっと並んだ絵の具棚を見ると、綺麗だからという理由で使う用も無い絵の具をついつい買ってしまう。そんな不良在庫の中に思いがけない色があった。紫雲末と青金石の二色。原石はソーダライトとラピスラズリ。使ったラピスラズリは混粒なので灰味が強い。五衣に紫雲末、涙に濡れる単に青金石を充てた。薄暗い午後に、白い薄物を何枚も重ねた色ってこんなんじゃないかなと、上手くいったかどうかは分からないが、私の気持ちではこれ以上ない、悲しくて高貴な色になった。 片側の貝に描かれた同じ構図の絵  明石の姫君は松襲の袙を想定した。この場面は松襲しか考えようがなかった。左の女房は乳母の少将の君。三人は明石の君と対峙するように描いた。  武隈の松とは、根方から幹が二本に分かれた相生の松で、二木の松とも呼ばれ、陸奥国武隈(現宮城県岩沼市)に現在も何代目かがあります。襖絵の中の松の根元に若松を添えて描いてみました。

源氏物語 第十九帖 薄雲より 明石の御方、母子の雪の別れ 其の一

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 旧暦の師走。厚い雲に覆われ雪が降り積もった翌日、嵯峨の大堰の山荘を光源氏が訪れます。会えて嬉しいはずの人が嬉しくありません。明石の御方は我が身の身分の低さゆえ、姫の将来を考え、我が子を手放すことを決意します。 【本文】 姫君は 何心もなく御車に乗らむことを急ぎたまふ……片言の声はいとうつくしうて 袖をとらへて「乗りたまへ」と引くもいみじうおぼえて   末遠き 二葉の松に 引き別れ   いつか木高き かげを見るべき えも言ひやらず いみじう泣けば「さりや あな苦し」と思して   生ひそめし 根も深ければ 武隈の   松に小松の 千代をならべむ のどかにを と 慰めたまふ さることとは思ひ静むれど えなむ堪へざりける 乳母の少将とて あてやかなる人ばかり 御佩刀 天児やうの物取りて乗る 【意訳】  姫君は何もお解りにならないので、お車に乗ることをお急ぎになります。……片言の声はとてもかわいらしくて、袖をつかまえて、「お母様もお乗りなさい」と引っ張るのが、明石の君にはたまらなく悲しくて、いま、幼い姫君にお別れして、いつになったら立派に成長したお姿を、見ることができるのでしょう………。  最後まで詠み切れず、ひどくお泣きになりますので光源氏は、「ああ、本当においたわしや」とお思いになられ  姫は生い立ちの縁が深いのだから、やがては武隈の夫婦松のように小松の成長を見守るようにいたしましょう。まずは落ち着いて。  と、お慰めなさいます。明石の君はそれもそうかと心を静めてみますが、やはり耐えられません。乳母の少将という、品のよさそうな女房だけが、御佩刀(みはかし)、天児(あまがつ)などを揃え、車に乗ります。 〈其の二〉

山萩〈ヤマハギ〉

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  万葉集からもう一つ。マメ科ハギ属の種子植物。山野に自生する落葉低木または半草本。描いたのはたぶんヤマハギだと思う。  ごく稀に白い花も咲かせるとのことなので、白い花も入れてみた。絵だとそういった事は自由にいじれる。葉もだいぶ間引いてあるし、全て正面を向かせている。葉を重ねて立体感を出して、とも思ったが、うるさくなりそうなのでやめた。金箔地に負けないように、必要なものだけを様式的に描いたつもりだ。でも、後で見ると少し寂しいか。季語は秋。

桔梗〈キキョウ〉

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 キキョウ科の多年草。山野の日当たりの良い所に自生すると言うが、実際に山野ではお目にかかったことが無い。日本全土から朝鮮半島、中国、東シベリアにまで分布するらしいが日本では絶滅危惧種に指定されている。もちろん自生株の話で、公園や庭先などでは身近に見ることができる。  私のバイト先の建物のちょっとした空き地にも季節になると花をつけていた。が、なぜか最近は見ない。日当たりが悪いのか、水はけが悪いのか、環境が合わないと非常に弱い花なのかもしれない。そう思うと愛おしい。  古くから栽培され親しまれてきた。江戸時代にはかなりの品種があったらしい。北斎が 色々な桔梗の浮世絵 を描いている。しかし、明治の中頃には途絶えてしまったという話だ。根は喉の薬として漢方薬に使われる。 夏から秋にかけて花をつける。季語は秋。 なお、万葉集で山上憶良が詠んだ、秋の七草の歌の朝顔に該当すると言われている。 1537: 秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 1538: 萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花  実際の花はこんな色はしていない。もっと淡い青紫色をしている。これは買ったばかりの群青を使ってみたくて描いた。

箔盤を作る〈三〉

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  赤い箔盤は唐木製だ。なんちゃって紫檀と呼んでいる。天板はブビンガ、側面と土台は本花梨(パドウク)、盤止めの桟はチークを使用した。ずしりと重く、重厚だがたぶん二度と作らないと思う。  蓋を作るとき、四角く組んだ側面に大きめの天板を貼り、余分な所をノコギリで落としてサンドペーパーで磨いたのだが、恐ろしく硬い。こういう作業は余分な力が入ると曲がったり仕上がりが悪い。でも、余分な力を入れないとまったく歯が立たない。側面はキズだらけになった。ヤスリ掛けでなんとか見られるようになったが、最後の仕上げは途中で放棄した。後で気が向いたらきれいに磨いて木目を出してやろうと思う。このまま箔盤として使うには何も問題が無い。  こちらの鹿革はキョンセーム。カメラや眼鏡のレンズ拭きに使う物だ。中にはフェルト布だけを入れた。ディアスキンよりずいぶん硬い。二種類作ったがいずれも皮を張る時はかなり強く引っ張った。パンと張っていた方が結果が良かった。また、バックスキンを使うという固定観念があった。これは間違いだった。いま思う所があるので、機会があったらもう一種類作ってみようと思っている。箔盤は取り外し可能で、色々用意しようと思っている。私のことなのでいつになるか分からないが、作ったら報告したいと思う。 肝心の切れ味だが、正直分からない。キョンセームとディアスキンの差さえよくわからない。技術が伴わないから分からないと言ってしまえばそうなのかも知れない。ただ、かねてから薄々感じていたのだが、箔を截る場合に重要なのは竹刀、もしかしてそれよりも重要なのはタルクかもと。それはヴァイオリン(箔盤)と弓(竹刀)と松脂(タルク)の関係に似ているような気がする。どんなに高価な名器でも弓に松脂が塗って無ければ音が出ない。取りあえず結果は急がず、使ってゆくうちの何か分かるかも知れない。とにかくこれで、仕事が終わったらいちいち金箔片をしまわなくて済む。

箔盤を作る〈二〉

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  材料が揃ったら作業開始だ。作り方は至って簡単だ。寸法で切ったパーツを丁寧に接着剤で貼り付け組み立ててゆく。白い箱の素材はタモ。天板は杢だ。蓋の側面と土台はタモを寸法でカットしたもらった。土台を一枚板にしようかと思ったが、気密性が高いと蓋の開閉に金箔が動くような気がしたのでこのようにした。もっとも私の工作で気密性が上がるとは思わないが用心に越したことは無い。行き当たりばったりなのでごくまれにぴっちり作れてしまう事がある。箔盤を止める桟にはチークの角材を用意した。この色の組み合わせはとても気に入っている。最後に天板を貼ってまわりをサンドペーパーで磨いて仕上げた。  鹿革はディアスキンを使った。土台の板、脱脂綿、フェルト布、鹿革と重ね、少しクッションを付けた。後で張替がきくように市販のでんぷん糊で皮を取り付けた。サンドペーパーで皮の表面をならして完成だ。肝心の切れ味だが、次回だ。 箔盤を作る〈三〉

箔盤を作る〈一〉

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  かねてから箔盤を新調しなくてはと思っていた。箔盤とは金銀箔を竹刀で切る時に使用する台のことを言う。クッションを敷いて弾力を持たせ、動物の皮を張り、紙やすりで表面を整えてある。使用の際は、金属箔が道具にくっつかないようにシッカロール(タルク)をまぶして使用する。 箔盤2種  今迄使用していたのは学生の時に購入した物で、しょっちゅう使っているわけじゃないが、40年は使用している。もう使えないということではないが、膠のシミであちこちが汚れている。道具を汚すのは仕事が下手な証拠だ。最近はそれなりに上手くなっているので汚れた道具は下手を証明しているようなもので、人に見せることは無いが自分で嫌だ。何よりハダカの盤だけでなく蓋付きの箱にしたい。そういうわけで蓋付き箔盤を作る事にした。  金箔はわずかな風の流れでフワフワと動く。とくに私は金箔を小さくきって使っているので、ちょっとした空気の動きでどこかへ行ってしまう。作業を終えた時、その日使わなかった小さな金箔片を何十片も箔合紙に挟み込み戻すことになる。その時間と手間をどうにかしたい。蓋があれば、蓋をかぶせるだけで本日の作業終了となる。  箔は何種類も使うが、よく使う四号箔と五毛箔用に二種類の蓋付き箔盤を作ることにした。指物師に注文という手も有るが、そんな余裕は無い、というか、そんな面白そうな工作をお金を出して他人に頼む気が知れない。どうせ作るのなら素材も美しい方が良い。天板にする材をwebで探し、赤と白の木目の美しい板を見つけたので早速購入。他のパーツは材木を寸法で切ってくれる所があるのでそちらへ注文した。  肝心の皮だが、中国の技法書、天工開物(1637)には良くなめした猫皮を使うとあるらしい。三味線屋で四つ皮を調達しようとも思ったが、家内を始め色々な人を敵に回しそうなので見送る事にした。現在一般的には鹿皮が良いとされている。そこでディアスキンとキョンセームの二種類の鹿皮で作って見る事にした。 箔盤を作る〈二〉

道具入れを作る

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  ある日、うなぎのお弁当をお土産にいただいた。ウナギはもちろんおいしくいただいたが、ほぅと思ったのはその入れ物だ。かなり高かったんじゃないかなと思えるような、立派な感じの弁当箱だ。側面とふたが杉の白木で作ってある。弁当箱だけの役目でそのまま捨ててしまうにはあまりにももったいない。  そのまま洗って使えない事も無かったが、タレが染み付いてふたを開けるたびに蒲焼きの匂いがしたんじゃたまらない。カビだって生えるかも知れない。また、底板が紙製だったのでボコボコしていた。それで、底板を新しくして組み直そうと考えた。  板どうしは木工ボンドのようなもので接着されていたので、半日程水の中に浸しておいた。接合部分が白くふやけてきたらやさしく箱を分解する。スポンジと歯ブラシ、しつこい所はステンレスのスチールウールで、汚れと白い接着剤を丁寧に落とす。乾燥させたら、水分にあたった木材は肌が荒れているので簡単にサンドペーパーを掛ける。これをするとしないとでは仕上がりがぜんぜん違う。これで準備はできた。  組み立てだが、私の工作は基本木工ボンドだ。クランプでしっかり締めておくとけっこう丈夫だ。ホゾや釘の仕事は専門家に任せないときれいにできない。  接着剤を塗り側面を四角く組んで三角定規をガイドにクランプで締める。表側のはみ出した接着剤は濡れた布で丁寧に拭き取る。内側の角は適当に、取りすぎると強度が落ちるかも。三角定規を当てたまま静かに固まるまで待つ。側面が固まったら薄いベニヤ板(今回は2.5ミリのシナベニヤを使った)を直接底に当て鉛筆で寸法を採る。カッターで余分な所を切り落として底に接着する。コツは気持ち大きめにカットしてサンドペーパで微調節している。  蓋の裏には五ミリの桧の角材で桟を付けた。家内に提供してもらった古くなった化粧ポーチの革を内側に張って(青い部分)完成だ。危なっかしく保管に困っていた彫刻刀に家が出来た。

露草(ツユクサ)

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 ツユクサ科ツユクサ属の一年草。空き地や道端など、どこでも見かけることができる。初夏から秋口にかけて、一つの苞から、複数の花をつける。苞を開くと次の花の蕾が控えている。この異常気象で今でも真っ盛りだ。露草の他に、鴨跖草、月草、着き草、蛍草、帽子花、青花、藍花、移し草、鎌柄等、さまざまな別名を持つ。各地域で人々に密着し、親しまれた証だろう。季語は秋とか。  花から染料を取ったと言われるが、小学生の夏休み自由研究では手に負えないくらいの花の量が必要だった。なんとかわずかな液体を取り出せたが、そのまま液体で保管していたら学校が始まる頃には違う物になっていた。花を絞った後の布が綺麗な青い色をしていたのを何となく覚えている。染料として使われるのはもっと大型の青花という花だとか。栽培種とのことだが、恥ずかしながら見たことがない。浮世絵版画では絵の具としても使われていた。古い浮世絵で月代(さかやき)の所(男性の頭頂部、頭髪を剃り上げた所)が 薄茶に刷られたものがある。 どうやらそれらしい。薄茶は退色した色だが、刷られた当初は鮮やかな露草色だったとか。また、紅と混ぜて紫としても使った。

源氏物語 第五十四帖 夢浮橋より 小君、薫からの手紙を渡す 其の二

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  浮舟は薫からの手紙を見ても人違いだと言い張り返事を拒みます。小君は姉にも会うことも、手紙の返事をもらうこともできず帰って薫に伝えます。薫は浮舟が誰かに囲われているのではないのかと疑問を持ちながら、親子三代に渡る物語はあっけない形で終わります。 片側の貝に描かれた同じ構図の絵  手習のところでも触れたが、美麗几帳や浮舟の衣装が豪華になっているが、全て画面構成上の配慮と思ってお許しいただきたい。  初めて私の作品を見た方に何で描いてますかとよく聞かれる。手に取って覗き込む様に見ると一部の絵の具がキラキラと光って見えるかららしい。私が使うのは日本画の絵の具、それも岩絵の具を主に使っている。日本画の大きな作品だと見落としがちだが、岩絵の具は石や色ガラスを砕いて作るので、粒子の粗い絵の具はグラニュー糖の様にキラキラする。「日本画」までは良いが、プラス「の絵の具」が付くとあまり馴染みがないかもしれない。  絵の具とは顔料を展色剤で溶いて基底材に定着出来るものだ。おおまかにその展色剤の種類で、亜麻仁油や芥子油だと油絵の具、アラビアガムだと水彩絵の具、卵を使うとテンペラになる。これらの絵は仕上がりが顔料の濡れ色になるので顔料の粒子の差で大きく色が変わることはあまりない。日本画の展色剤は膠を適度な薄さで使う。仕上がりは顔料そのものの色に近い。日本画の絵の具の顔料には色々な物が用いられるが、代表的なものはやはり岩絵具だろう。天然に産する物が多く自然からの頂き物だ。岩絵具は天然の鉱物や色ガラスを粉砕して作る。同じ絵の具でも粗い顔料は濃く、微細な顔料は白っぽく発色する。絵の具によって膠の濃度や溶き方、塗り方まで違う、混色が自由にできないなど色々な制約もある。しかし、美しいものを描きたいので美しい絵の具が必要だ。宗達の緑青、光琳の群青、若冲の辰砂、それはそれは美しい絵の具だ。現代の絵の具とは多少違うかもしれないが、同じ絵の具で絵を描くことができるのは幸せなことだ。先人達の足元にも及ばないが、美しい絵の具で少しでも美しい絵が描けたらと思う。

源氏物語 第五十四帖 夢浮橋より 小君、薫からの手紙を渡す 其の一

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  浮舟の住む小野へ、浮舟の弟の小君が、横川の僧都と薫からの手紙を携えて会いに来ます。浮舟は、簾から覗き見た弟の姿に懐かしさを覚え、母を思い出し涙ぐみます。小君は母屋の際に几帳を立てて招かれます。 【本文】 几帳のもとに押し寄せたてまつりたれば あれにもあらでゐたまへるけはひ 異人には似ぬ心地すれば そこもとに寄りて奉りつ 御返り疾く(とく)賜はりて 参りなむ と かく疎々(うとうと)しきを 心憂しと思ひて急ぐ 尼君 御文ひき解きて 見せたてまつる ありしながらの御手にて 紙の香など 例の 世づかぬまでしみたり 【意訳】  几帳のそばに押し寄せいたしましたので、浮舟の不本意ながらとお座りになる気配がします、それが他人とは思えぬ気がするものですから、小君はすぐそばに近寄ってお手紙を差し上げなさいます。「お返事を早く頂戴して、帰りましょう」と、このようによそよそしいのを、心苦しいと思って急がれます。尼君は、お手紙を開いて、お見せ申し上げます。昔のままのご筆跡で、紙の香りなど、いつもの様に、有り得ないほどに染み着いていました。 〈 其の二 〉

源氏物語 第五十三帖 手習より 浮舟、出家して手習する 其の二

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 時期は九月、手習に勤しむ浮舟を描いた。手前の人物はお付きの女房のつもりで描いた。小野の住まいは本文で簡単に触れていて、山の斜面にあるという。イメージは懸崖造りのお寺だ。宿木で高欄にふれた。もう少し上手に描けるまで高欄は書きたく無かったが懸崖造りの建物に手摺りが無いのは考えられない。どうしてもここで描かざるをえない。しかも金箔下地のところは修正も難しい。何度も練習してやっとの思いで描きあげた。けっして上手では無いが、私にとっても手習いだった。 片側の貝に描かれた同じ構図の絵  この時に浮舟はすでに出家しているので、尼削ぎと言うおかっぱ頭の様な髪型になっているはず。しかも豪華な小袿姿で金蒔絵の机に向かっている。だが、髪については、若い女性が出家してもバッサリ髪を落とす事はなく、端をお愛想程度に切ったと言う説が有力らしい。豪華な小袿姿は、出家した姿があまりよく分からなかった事と、私がイメージしている出家姿だと恐ろしく寂しい絵になりそうなので、全て画面構成上の配慮と思ってお許しいただきたい。  後で小耳に挟んだ事だが、この時代は机の上で文字を書く習慣は無かったかもしれないとのことだ。申し訳ないが未確認事項である。また、右に板壁を置いたが、少し怪しい。蔀戸か、縦張りの板壁が良かったかもしれない。

源氏物語 第五十三帖 手習より 浮舟、出家して手習する 其の一

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 横川の僧都は、女一宮の病の加持祈祷の為に下山し、小野へ立ち寄ります。かねてから出家を望んでいた浮舟は、出家を反対していた尼君が初瀬詣でて留守の間に、今この時と僧都に懇願して出家をしてしまいました。 【本文】 思ふことを人に言ひ続けむ言の葉は もとよりだにはかばかしからぬ身を まいてなつかしうことわるべき人さへなければ ただ硯に向かひて 思ひあまる折には 手習をのみ たけきこととは 書きつけたまふ   なきものに 身をも人をも 思ひつつ 捨ててし世をぞ さらに捨てつる 今は、かくて限りつるぞかし 【意訳】  出家した翌朝に浮舟は不揃いに切られた髪を気にしながらも、思っていることを人に言い続け言葉にするようなことは、もとより上手くできない身なのに、まして親しく話の相談に乗ってくれる人さえいないので、ただ硯に向かって、思い余る時には、手習いだけを、精一杯の仕事として、お書きになられます。 「死んで全てを清算しようと、我が身も愛しい人もと、思って、捨てた世を、死に切れずにさらにまた出家という形で捨てたのだ。」  今は、こうしてすべてを終わりにした。 〈 其の二 〉

源氏物語 第五十二帖 蜻蛉より 薫、女一の宮を垣間見る 其の二

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 薫が女一宮を垣間見る場面だ。本文ではこの他に童が何人かいることになっている。器に入れた氷を前にしているのが女一宮。左の扇を持っている女房が小宰相の君。衣装の中に赤と浅葱のグラデーションが入っているが、五衣を表している。しかし、暑い時期なので五衣は無いであろう。じゃ、間に一枚も袿を着ないのかというとそうでも無いらしい。無いと絵として寂しいので入れたと記憶している。実際この時代何をどのように着ていたのかは調べてもはっきりしなかった。 片側の貝に描かれた同じ構図の絵  だが、少し分かっていることもある。女房(宮中に仕える人)は裳唐衣、童は汗衫が正装である。使用人は仕える人の前では必ず正装で無ければいけない。そして、姫君は女房達の前ではゆったりと小袿姿で過ごす。本文には女房三人と童は「唐衣も汗衫も着ず」とある。これは稀なことで、暑さと女一宮のおおらかな性格を表しているのかもしれない。ただし、裳だけは付けなければいけない。  えっ! 小宰相の君に裳が無いって、またやらかしたようだ。